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女優・歌手・木版画家 ジュディ・オングさん
VOL66-67 2016.12 - 2017.01


巻頭インタビュー




女優・歌手・木版画家




ジュディ・オング

 さん




感謝の心。そして、生涯学び続けること。


このことを忘れずに生きる、人でありたい。




世の中の役に立ちたいという思いが強いです。

ジュディ・オングさんといえば、パッと思い浮かぶのが「エーゲ海のテーマ〜魅せられて〜」のしなやかな歌声と扇状に広がる袖の美しいドレス姿。 200万枚を超える1979年の大ヒット曲は、今も輝きを失わず、多くの人の心に残っていると思います。 もちろん今も歌手、女優のご活躍が続いていらっしゃいますが、重点を置かれているのは何のお仕事ですか。

 出演作品の数でいえばドラマの仕事が多いですね。でも、歌手活動もしっかり続けています。今年1月にはジャズナイトを、先日はシンガポールでコンサートを行いました。年明けには再びジャズナイトを開催する予定です。

 ただ私自身の気持ちとしては「世の中の役に立ちたい」という思いが強いですね。シンガポールのコンサートも収益の一部で音楽的才能のある子どもを発掘し、育成を目指す支援活動でもありました。家庭などの事情で夢を諦め、才能を咲かせられない子どもたちを救うために役に立ちたかったのです。

ご自身の夢だけでなく、次代を担う子どもたちの夢を育てる。それはとても素敵な活動ですね。では、日本介助犬協会のサポート大使を務めていらっしゃるのも「世の中の役に立ちたい」というお気持ちからなのでしょうか。

 きっかけは、故・橋本龍太郎先生と懇意にさせていただいていたことで、先生が介助犬の法案をお作りになった際にお声掛けくださったんです。私はこれまで暮らしの中に、犬がいないことがないくらい犬好きだということをご存知だったんですね(笑)。

 この介助犬法案の成立に活躍した犬の『シンシア』の話が、この冊子でも取り上げられたそうですね(本紙2016年5月号)。そのご縁で、橋本先生のご夫人で日本介助犬協会会長の久美子さんよりお話をいただきサポート大使に就任し、介助犬総合訓練センター『シンシアの丘』に伺うことができました。

介助犬をご覧になっていかがでしたか。

 介助犬総合訓練センターの犬たちは、みんな嬉しそうに尻尾を振りながら人を助けるんです。事故などで手足が不自由になった方、生まれながら手足に障害をお持ちの方をサポートする能力が介助犬には備わっていて、例えば水が飲みたいときには「テイクウォーター」というと、冷蔵庫まで行き、冷蔵庫を開け、お水のボトルを取り、冷蔵庫を閉めて持ってきてくれます。しかも、本当に嬉しそうに助けてくれるんです。

 そんな犬たちを見て、私はとても感動しました。そして介助犬との出会いが、人生を大きく変えたという方の話を伺い、もっと多くの方々に介助犬の必要性を知っていただきたいと思い、活動をさせていただいています。

サポート大使とは、どのような活動をされているのですか。

 講演会や介助犬のイベントなどで各地に出向いて理解と支援を求めることですね。テレビに出演した際、お話させていただくこともあります。もちろん、募金箱を持って介助犬育成のためにご寄付をいただく活動にも参加します。

 1組の介助犬とユーザーを育成するには、およそ300万円の費用が必要ですから、募金活動は大切なんです。でも社会の多くの方に、介助犬はまだまだ知られていない。だから「こんなにすごい犬なんです」ということをお伝えすることが、いちばん重要な仕事だと思いますね。

 それと大事な活動がもう1つ。お店や公共の場など、より多くの場所や施設に介助犬が自由に出入りできるようにする取り組みです。介助犬を連れてユーザーの方がコンサートに行けたり、気軽に喫茶店に入れたりできれば、生活はもっと豊かになりますからね。そのためにも、私は大使として頑張っています。


日々多くのモノやコトに、興味を持って生きている。
だから若いときよりも、今の方が楽しいですね。

大病が人への感謝と、恩返しの心を目覚めさせた。

介助犬協会のサポート大使以外にも、国際協力NGOワールドビジョンの親善大使、またロータリークラブのポリオ撲滅大使を務めていらっしゃいます。それぞれのボランティア活動には責任ある役目があり、大変な仕事も多いと思いますが、いつも前向きに頑張れるその理由を教えてください。

 実はこれまでに、大病を2度患っております。その経験がボランティアを積極的に取り組ませているのだと思います。

 最初の大病は21歳、2度目は36歳のときです。21歳のときは、若かったこともあり、復帰だけを願っていました。しかし36歳で倒れたときには、これまで自分は「どうやって生きてきたのか」、そして「これからどうやって生きていくのか」を考えさせられましたね。

 また同時に「人が病に倒れて、健康を取り戻すためには1人では難しい」ということを痛感しました。人は薬を飲み、ベッドに寝ているだけでは元気になれないんです。そばにいる人の「早く元気になって。待っているから」という励まし。家族の「具合はどう?今日はこんなニュースがあったのよ」といった日々の温かなふれあい。懸命に私の病気と向き合ってくださるお医者さまや看護師さんの存在。そんな方々の明るい声、温かな支えがあってはじめて人は元気を取り戻せるんですよ。日々多くのモノやコトに、興味を持って生きている。だから若いときよりも、今の方が楽しいですね。

 だけど、私はこの事にすぐには気づきませんでした。「なぜこんなことになっちゃったんだろう」ということばかり考える毎日でしたから。

 そんなある日、看護師さんが病室の私に向かって「今日は熱がなくて良かったわね!夕方まで上がらないといいわね!」といってカーテンを閉めて出て行かれました。そのときハッとそのことに気づけたんです。すると涙がポロポロと流れて止まらなくなって、最後にやっと「ありがとうございます」という言葉が言えました。そして「ありがとう。毎日私に笑顔を届けてくださって。元気になろう。早く元気になろう」と思えました。

確かに病気のときには人の支えのありがたみを強く感じますね。

 そうですね、私は当時「ザッツ・ミュージック」という歌番組の司会を務めていて、その収録中に倒れてしまったのですが、元気になろうと思えた時に、やっとスタッフから贈られたオルゴールを手に取ることができたのです。そしてそのオルゴールには、何と私が歌っていた番組のエンディング曲『虹の彼方に』が入っていました。

 付いていたキャンディをなめながら聴いているうちに、甘いのかしょっぱいのかわからなくなるほど、感謝の気持ちが溢れてきました。そして、恩返し≠したいと強く思ったのです。「もう一度歌えるようになって、人の役に立てる人間になろう」と誓いました。ボランティアに前向きに取り組むようになったのは、そんな経験から始まっています。

私もそのときの感動≠味わえた気がいたします。そして、感謝の気持ちを忘れず生きていきたいと思います。

 その気持ちを大切になさってください。誰も自分のことを第一に考えてしまいがちですが、人は1人では生きていけません。そのことに気づかずに過ごしていると大切なものを失ったときに、とても大きなショックを受けます。何事も毎日ある≠アとが当たり前ではありません。例えばご飯が食べられること、仕事をすること、家族や友人の愛情を受けられること。これらは決して当たり前のことではないのです。だから、日々様々なことに感謝して、ありがたいという気持ちを忘れずにいたいと思っています。


心打つ作品との出会いが、木版画家の道を拓いた。

芸能界でご活躍する傍ら、木版画家としても個展を開催されるなど、クリエイティブな活動もされていらっしゃいますが、木版画制作をはじめられたきっかけをお教えください。

 幼い頃から非常に絵が好きだったのですが、木版画に心を打たれたのは25歳の時でした。友人に「素敵な版画、見に行かない?」と誘われるまま行ってみると、モノトーンの非常にモダンな版画に出会ったんです。あまりにも素敵な作品でしたので、すぐに「私も作りたい。始めたい!」と思いました。出会った作品の強烈な印象が、木版画家への道を切り拓いたわけですね。現在、創作を進めていらっしゃる作品はございますか。

 『窓シリーズ』という作品に取り組んでおりまして、『夏窓』、『秋窓』をこれまで作り上げ、最近『冬窓』の下絵を描き終えたところです。南天の葉に雪が積もっている坪庭の冬景色を題材に、とてもお正月らしい作品になりそうです。

 坪庭は日本建築独自の意匠で、外国にはないもの、陽の光やお天気などの自然と灯篭や樹木などの庭づくりが融合し、絶妙な美を醸し出す世界です。とても心を惹かれます。作品の着想はどのように管理しているのですか。

 ふと気づいたものをスケッチして良い作品になることもありますが、私は「あっ!」と感じたものはメモに残すようにしています。そして、モノでも風景でも、できるだけカメラで撮ってストックしておきます。もし別のお仕事のときに良い素材と出会った場合は、改めて足を運んででも撮影やスケッチをしますよ。


美しさと健康を維持するために、大切にしている言葉があります。

溌剌とした輝きを保ち続けていらっしゃるジュディ・オングさんですが、その美しさと健康を維持するために心掛けていることはあるのですか。

 活き活きと生きていくために必要な精神を教えてくれた漢詩の心を大切にしています。中国の『劉 海粟(リュウ ハイスー)』という高名な文人が詠んだ詩です。

 まず『餐々七分飽』という言葉。「毎食のご飯は七分目で満足しましょう」という意味の一節です。日本でも「腹八分目に医者いらず」という言葉がありますが、食べ過ぎに注意して日々控えめに暮らすことが大切。過食の世の中で病気を遠ざけるためにも覚えておきたい言葉です。

 その次は『事事対人好』という言葉。「なんでも人に好ましくできるようになりましょう」という意味があります。私たちは人づきあいしていると、人の良い点と嫌な点が見えてきます。良い点も嫌な点もその人にすれば、多くある点の一点なのですが、他人は嫌な部分を感じるとその点ばかりを見てしまい、やがて嫌な点しか見えなくなります。こうなるとその人とは上手くつきあえなくなる。

 そんな時は鳥のような視点で、その人を上から見てみることです。すると良い点があることにも気づけるんですよ。「ことごとく、人と好ましくつきあう」ためには、人の長所と短所と上手におつきあいしなさいという教えです。

 そして『為善最快楽』という言葉。この一節には「善を尽くすということは、最高の喜びである」という意味があるのですが、簡単な例え話でご説明します。あなたがスーパーマーケットで買い物をしていると、そばにいた人の袋が破れてオレンジが転がったとします。そんな時、そのオレンジを一緒に拾い、さらに「ちょっと待って。代わりの袋もらってきますね」といった感じで、あなたのできる限りの手助け≠してあげれば、きっと助けられた人からは「ありがとう」という感謝の言葉が生まれるはずです。

 「ありがとう」という言葉は、決してお金で買えるものでありません。『慈善』の『善』が、あなたへのご褒美に変わったのです。「ありがとう」と言われて、気分が悪くなることはないですから、きっとその1日は「今日は良いことをして、気持ちも晴れやか」となるはず。この澄んだ気持ちが健康の元になるんですよ。

なるほど、意味深いですね。そして最後の一節に続くのですね。

 そうです。この3つの言葉を実践すれば、最後の一節『健康活到老』がかなうのです。「健康に長生きできるでしょう」という意味ですね。

 しかし、歳を重ねることは単に「歳を取る」というではありません。『上智』といった良い知恵≠身につけていくことなんです。木々は実をつけるまで、およそ10年かかりますが、これを『樹木十年』と詠みます。それになぞらえ、人が素晴らしい人間に成長し尊敬されて「また会いたい。話を聞きたい」と思われる人間になることを『樹人をする』といい、『樹人百年』と詠みました。

 昔、100年とは永遠を意味しましたので「人は学び続けなければならない」という教えです。最後の1日まで学び、それを楽しむことが大切。私は今、『学ぶ』ことを素敵だと感じています。だから、若いときよりも今の方が楽しいですね。日々多くのモノやコトに興味津々で生きています。

そんな思いとともに、私たちも歩んでいきたいですね。

 語尾に『○○したい』というのはダメ。それを『ます』に変えると『チャレンジ』の気持ちに変わります。いつもチャレンジ精神を持って「なりたい」から「なります」のような人生を送りたいものです。

身に滲む言葉ですね。大切にいたします。最後となるのですが将来の展望など、これからのご活動についてお聞かせください。

 一生現役を目指したいです。絵も描き続けますし、お芝居やドラマにも腰が曲がるまで出たいと思います。そして、歌は人生の最後の1日まで、その歳なりに、楽しく、聞いていただける限り歌い続けたいと思っております。

歌やお芝居などジュディさんのご活躍が、これからも楽しみです。そして生きる糧となるメッセージ、我々も大切にしてまいります。本日はご多忙の中、温かなお話をありがとうございました。



女優・歌手・木版画家 ジュディ・オングさん

〜PROFILE〜

(ジュディ・オング)
台湾生まれ3歳で来日。
9歳で劇団ひまわり入団。
11歳の時、日米合作映画「大津波」でデビュー。
その後テレビドラマ、映画、舞台に多数出演。
16歳に歌手デビューを果たし、以来スマッシュヒットを飛ばす。
1979年「魅せられて」の大ヒットにより日本レコード大賞を初め、数々の賞を受賞。
木版画家としては、過去14回の日展入選を果たし、2005年には日展特選を受賞、国内外で個展を開催している。
また数々のチャリティーコンサートをプロデュース。
ボランティア活動にも意欲的に取り組み、現在、ワールドビジョン親善大使、介助犬サポート大使、ポリオ撲滅大使を務めている。
近年、テレビドラマ「ルーズヴェルトゲーム」「ドクターX」「銭の戦争」と続けて出演。
存在感ある女優として、その演技は高く評価されている。
著書には、医食同源の知恵を生かした薬膳レシピ本「ジュディ・バランス」がある。


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